私岡野の住む街

2019年5月17日

私岡野の住む街をご紹介させて頂きます。

0 スタート 【千歳船橋駅】


私(岡野)が平成元年に降りたのが千歳船橋の駅です。
それから30年間駅を変えることもなく住んでおります。
千歳船橋は今、(小田急で)複々線(化)の高架化で非常に奇麗になりました。
その改札を出た丁度、目の前に「森繫久彌さんの銅像」があります。
ここに『デヴィエ 屋根の上のヴァイオリン弾き 1982年10月30日』
『船橋の地に長く住まわれた 名優 森繁久彌氏(1913~2009)は
ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」で主人公のデヴィエ役を
好演し、氏の代表作となりました。
 この像はロングラン記念好演を記念し、興行者から氏に贈られたものを、
ご遺族のご厚意により、まちづくりに活かすため、世田谷区に寄贈され
たものです。(平成26年11月 世田谷区)』
ここが、知床旅情とか色んな詩を作って曲を作った森繁さんの住まれた
地域でもあります。
また私の(家)の2軒隣には、あの瀬戸の花嫁を歌った小柳ルミ子さんも
住んでおりました。

1千歳船橋駅 ⇒ 【千歳書店】

ここは私が4、5年、毎月本屋さんに来て色んな本を買う所です。
とても親しみのある本屋さんで、森繁久彌さんの直筆の色紙があります。
皆さんにご紹介致します。
ここに森繁久彌さんの直筆(の色紙)があります。
『わたしが
役者になりたての頃
この道を通るたび
白髪のイガグリで
やさしい眼をした小父さんが
小さい本屋さんというより
村の古本屋のような
その店に座って
「モリシゲさん頑張んな。そのうち芽が
出るよ」
と応援してくれた
あれから三十年
子供たちは立派なお店をもった
私もお祝いやお禮をいただいて寄っ
たが あの懐かしい小父さんはもう居ない
久彌』
と森繁久彌さんの自筆です。
(他だと)なかなかこういうのはやることができないです。
(ですが、ここはこういうことができる)本屋さんです。
とてもあたたかな本屋さんです。

2千歳書店 ⇒ 【森繁通り ⇒ 寿司清】

この通りが森繁通りと言います。
約1km近くの道路ですけども。
皆さん、森繁さんが俳優になる前から通っていた通りで
(森繁さんが活躍して)森繁通り(となりました)。
世田谷区には森繁通りともう一つ
サザエさん通りというのが御座いまして
非常に世田谷区の方では愛称(名前)を付けて
地域に親しまれようという
そういう意識の高いとこがあります。

ここは森繁通りで森繁さんがよく利用していた
お寿司屋さんです。
『すしの味は
たねとしゃりとさびと
親父の
手あかにある
森繁久彌』
(森繁さんが)贔屓にしていて、とても美味しいということで
私たち、地元では有名な(お寿司屋さんです)。
寿司清のお寿司は美味しいことで評判です。

3寿司清 ⇒ 【最初の20年間の基礎を築いたアパート】

ここで一度10年住んで
さらに10年間借りています。
だから10年と10年で、
20年間ここで住んでいました。
ここで我慢ということを
しっかりと子どもたちに伝えることができたかな(と思う)。
子供達には、塾に1回目も行かせない。習い事も1回目行かせなかった。
なぜかというと、お金が無かった。
我慢ということを娘2人に教えました。
それが後々社会に出た時、(その経験が)とても役に立っている(娘たちは言います)。
皆さん是非、なんでもそうだけどもお金を使うことも出来るときは良いんです。
でも、無いとき我慢を皆さんなさると、後々役に立つと僕は思います。
20年間で(自分の人生の)基礎を作りました。

4アパート ⇒ 【人との出会いの大事さを学んだ集合住宅】

5集合住宅 ⇒ 【自宅にて岡野の思い】

気になる方は是非お問合せ下さい。

Posted by okanocare